生産性を上げるには...

製造業のような物的生産性概念がそもそもあり得ない以上、サービス業も含めた生産性概念は価値生産性、つまりいくらでそのサービスが売れたかによって決まるので、日本のサービス業の生産性が低いというのは、つまりサービスそれ自体である労務の値段が低いということであって、製造業的に頑張れば頑張るほど、生産性は下がる一方です。

http://activity.jpc-net.jp/detail/01.data/activity001013/attached.pdf

この詳細版で、どういう国のサービス生産性が高いか、4頁の図3を見て下さい。

1位はルクセンブルク、2位はオランダ、3位はベルギー、4位はデンマーク、5位はフィンランド、6位はドイツ・・・。

わたくしは3位の国に住んで、1位の国と2位の国によく行ってましたから、あえて断言しますが、サービスの「質」は日本と比べて天と地です。いうまでもなく、日本が「天」です。消費者にとっては。

それを裏返すと、消費者天国の日本だから、「スマイル0円」の日本だから、サービスの生産性が異常なまでに低いのです。膨大なサービス労務の投入量に対して、異常なまでに低い価格付けしか社会的にされていないことが、この生産性の低さをもたらしているのです。

via: スマイル0円が諸悪の根源: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
追記:

わたくしにとって大変興味深かったのは、篠崎さんと大湾さんが指摘されていた間接雇用の拡大によって製造業の生産性が見かけ上かさ上げされているのではないかという点でした。

>篠崎 ・・・これはやはりデータの話で、細かいことなのですけれども、労働投入量と、生産性との関係についてです。例えば総生産が拡大しても就業者数が伸びないという話がありましたけれども、おそらく生産現場で製造業にカウントされない就業者を使っていることの影響があると思います。派遣や請負だとサービス業に分類されてしまいますから、製造業の雇用者としてカウントされません。派遣や請負を使っていれば、生産額は伸びますけれど、就業者数は伸びないという話になる。とすれば、もしある分野において、生産額と就業者数との関係を正確に見たければ、生産に投入した実質の労働投入の総数を何らかの形で推定しないと、おそらく関係は見られないのではないか。・・・

>大湾 ・・・生産性のデータを使う場合は、本当に注意深くやらないと行けないと思うんです。というのは、いろいろな要素がそれをねじ曲げる方向で働いていますので、例えば今、派遣の話がありましたけれども、正社員が派遣に切り替わったときに、派遣社員が何をやっているかというのは、統計をつくる側は分からないので、派遣への支払いは投入コストとして測るわけです。そうすると、社内の正規従業員がつくっていれば200円かかったものが、派遣の人がつくると100円で済む場合、高い人件費が低い投入コストに切り替わることで、正規従業員一人あたりの付加価値はその分上がってしまう。本当は生産性が上がっていない。生産性は上がっていないんですが、社内から外部調達へ切り替わった労働の中身を統計をつくる側が把握できないために、生産性を大きくカウントしてしまう可能性がある。・・・

生産性という概念は、サービス業自体の拡大であれ、製造分野内部におけるサービス提供業者(派遣や請負)の拡大であれ、経済のサービス化が進めば進むほど、一筋縄ではいかなくなるのですね。

via: 間接雇用と製造業の生産性: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

日本の生産性の低さの原因がどこにあるのかについての、もう一つの重要な指摘です。

>経済的民主主義の確立に必要なのは、経営参加制度だけではありません。ILOが出している報告書によれば、北欧の労働生産性は日本の倍も高いのです。あれだけ日本人が働いているのに、日本の労働生産性が低いのはなぜなのでしょうか。それは、労働が非効率的非合理的に組織されているので、無駄が多いことによるものですこれは、職場における民主主義の欠如とその裏腹の関係にある権威主義のためです。

>例えば、スウェーデンの首相が国際会議に出かける際、自分で車を運転していくか、せいぜい秘書に運転させていきます。また、演説するときに使うのは簡単なメモくらいです。ところが、日本の首相が国連で演説するとなれば、まず各章から原案を集め、官房でさまざまな調整をします。行くときには、外務省の大臣や局長、他の省からも同行します。そして首相のおつきだけではなく、大臣や局長のおつきも必要になり、飛行機一台でも足りなくなります。スウェーデンでは2,3人でやっている仕事を、日本では500人から800人かけて行っています。この場合、首相の生産性は何百分の一となります。会社の社長も同じで、おつきが何人もついていきます。封建時代の大名行列の名残か分かりませんが、そんな国は他にありません。アメリカでは社長が一番忙しいといいますが、日本では上の人は仕事をしません。社長を辞めた後は顧問などになりますが、この人たちの生産性はゼロで、むしろマイナス要因です。労働者の生産性には問題なくても、使用者と経営の生産性が低い。日本はあまりにも膨大な管理監視機構と、それから派生するさまざまな弊害を抱えています。・・・

>スウェーデンなど北欧の社会と比較した場合、日本ではあまりにも無駄な作業が多い。なぜなら、経済的民主主義が十分ではなく、権威主義がそれを助長しているからです。上の人を立てなければならない、上の人に恥をかかせてはいけないという、250年、300年前の封建時代からの伝統が我々の意識の下にあり、戦後の民主主義時代の中でも生き残っているのです。・・・

経済的民主主義の欠如と権威主義の残存が、とりわけ経営陣の生産性の低さの原因になっていて、労働者レベルの生産性の高さを無にしているという指摘です。

via: 経済的民主主義の欠如と生産性の低さ: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare96.pdf

>日本の医療の生産性が低いというのは出席者周知のこと、その原因が、診療報酬と制度改定により医療費が政策的に低く抑え続けられてきたからというのも出席者周知のこと。医療生産性を上げたいのであれば診療報酬を引き上げればよいのである。

>ついでに余計なことを言っておくと、必ずしも生産性は付加価値生産性で測る必要はなく、生産物で測った物的生産性を見ることもある。そこでいま、医療の生産性を、医師1人当たりの取扱患者数で見ようとすれば、わたくしが「医師の多忙さを推し量る一次接近」と呼んでいる図を見ればよいことになる。

>う?んっ、日本の医師はアメリカの5倍ほどはたらき、日本はアメリカの5倍ほどの物的生産性を示しているとしか読み取れないですねぇ、これは。

で、このエッセイの最後には、、『岩波 現代経済学事典』における「生産性」の解説が引用されています。

生産性について何事かを騙ろうという人は、せめてこれくらいの常識は身につけてからにして欲しいものですね。

>・・・エコノミスト、新聞などが誤って使っている場合が多いので、その内容を厳密に定義する必要がある。いま投下労働量をl時間とし、それによって生産された生産物をqとすると、労働生産性はq/lであり、労働当たりの物的生産性である。したがって、生産性の比較は、工場内の同じ工程をとって比較する以外ない。たとえば、乗用車の組立工程を日米間で見ると、1人1時間当たり、もっとも効率のよい工場同士で、日本1に対して、米国0.35であり、塗装工程で、最頻価日本1、米国0.5(いずれも1981年)である。しかし、通常エコノミストや新聞が用いる生産性は付加価値生産性で、価格をp、製品当たり原材料費をuとすると(p-u)q/lである。したがって、価格の高い米国の自動車産業が、物的生産性q/lは小さくても、付加価値生産性が高くなることがあり、日本は生産性が低くなる可能性がある。

via: 診療報酬を引き上げれば医療生産性は上がるよ@権丈節: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)